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東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)159号 判決

原告 川崎一

右訴訟代理人弁護士 苅部省二

同 日浅伸廣

被告 日本橋税務署長松橋行雄

右指定代理人 田中澄夫

〈ほか四名〉

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五八年一月二八日付けでなした原告の昭和五六年分所得税についての更正及び過少申告加算税賦課決定のうち、総所得金額一二六〇万二四六〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の申立て)

主文同旨

(本案の答弁)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  課税経緯

原告の昭和五六年分の所得税につき原告がした青色確定申告並びにこれに対して被告がした更正(以下「本件更正」という。)及び過少申告加算税の賦課決定(以下「本件賦課決定」といい、本件更正と合わせて「本件更正等」という。)、審査請求等の経緯は、別表のとおりである。

2  不服の範囲

原告は、本件更正のうち総所得金額一二六〇万二四六〇円(確定申告した額)を超える部分と本件賦課決定の全部に不服がある。

すなわち、昭和五六年分の原告の川崎地所株式会社(以下「川崎地所」という。)に対する東京都中央区日本橋堀留町二丁目五番一、宅地、五〇四・二六平方メートルの土地(以下「本件土地」という。)の賃料債権は、二五六二万円であったが、そのうち一二八一万円については回収不能であったので、原告は昭和五七年二月二日同会社に到達の書面をもって同回収不能部分の債権放棄の意思表示をし、被告は右貸倒れ処理を否認し、これを本件更正等の理由とするものであるが、右否認は失当である。

3  《省略》

4  不服申立ての前置

(一) 本件更正等の通知書(以下「本件通知書」という。)は、昭和五八年二月一〇日原告に送達されたものというべきである。すなわち、

(1) 本件通知書は昭和五八年二月ころに東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番二号の原告宛に送達されたが、これを日本橋郵便局員から受領したのは、竹内修市(以下「竹内」という。)であった。

(2) その当時、神近管財株式会社(以下「神近管財」という。)は、本件土地上に所在する川崎地所所有の建物(以下「川崎ビル」という。)内の駐車場の管理をしている大成サービス株式会社(以下「大成」という。)から駐車場の機械装置の運転を任されていたが、竹内は、神近管財の従業員として右機械装置の運転の職務に従事していたものである。

(3) 当時、川崎地所の守衛は吉田菊次(以下「吉田」という。)であって、同人は川崎ビル内の守衛室に勤務していた。

(4) そこで、竹内は同年二月九日ころ、吉田には無断で、右守衛室の雑書類の中に本件通知書を置いた。

(5) 原告の長女川崎美那(以下「美那」という。)は、たまたま同月一〇日川崎ビルを訪れ、そこで吉田が本件通知書を所持していることを知り、同日これを原告住所地の鎌倉市《地番省略》の原告の自宅(以下「自宅」という。)へ持ち帰った。

なお、原告は、昭和五八年一月下旬から同年二月一〇日まで川崎地所に行ったことはなかった(後記(二)参照)

(6) ちなみに、郵便については、本件納税地においても原告と川崎地所とは明確に区別されていたもので、原告宛のものは原告自身が直接受け取り、吉田が原告宛のものを受け取ったことはなかった。したがって、吉田が本件通知書の存在を認識(あるいは受領)したとしても、これをもって原告に対する送達があったということはできない。

(7) よって、美那が本件通知書を鎌倉の原告自宅に持ち帰った時(あるいは美那が本件通知書を吉田から受け取った時)である二月一〇日に、原告において本件更正等があったことを知ったものというべきである。

(二) 仮に、本件通知書が昭和五八年一月三一日に原告に送達されたものとしても、不服申立期間の不遵守について、原告には次のとおり国税通則法七七条三項にいうやむを得ない理由がある。

すなわち原告は、昭和五八年一月から同年四月初めころまで冠状動脈不全により、自宅において病床についており、担当医師から絶対安静を指示され、仕事をすることも停止されていた。その病状は、息切れがして歩けず、血圧が高く頭を使えない状態で、また、先天的に心臓が悪く、かつ、持病の脊椎カリエスにより体に変形を残し、右各持病が高血圧、冠不全に重畳的に悪化をもたらしていたものである。したがって、昭和五八年一月から同年四月五日までの間は、到底、審査請求書を作成できる状態になかった。

(三) 原告は、昭和五八年四月七日、本件更正等につき国税不服審判所長に対し審査請求をした。

(四) 同所長は、同年八月二四日、原告の右審査請求を却下し、同裁決書謄本は、同月三〇日原告に送達された。

5  よって、原告は、本件更正のうち右2記載の不服部分及び本件賦課決定の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち事実自体は認め、法律上の主張は争う。

3  同3(一)のうち(1)は、原告が川崎地所に対する昭和五一年分の土地の賃料債権に関する確定申告における取扱いについて、昭和五二年二月一六日、東京国税局税務相談室宛に文書により税務相談を申し込んだこと、これを受けて同相談室税務相談官の中里が同年三月一日原告に対し、事実関係について補足説明を求めるため電話連絡したところ、同月初旬ころ原告が同相談室に来たので、相談事項につき原告と面談したこと及び中里が原告に対し、関係条文のコピーを交付したことを認め、中里が原告に対し、原告の場合は貸倒れの処理が認められる旨の指導をしたことを否認し、原告が税務相談を申し込むに至った経緯は不知。同(2)(3)は、原告が川崎地所に対し、原告主張の債権をいずれも放棄し、各通知をしたこと及び原告主張の確定申告書の提出があったことを認め、その余の事実を否認する。

同(二)のうち、(1)は、田中調査官が原告主張の所得税調査を行ったことを認め、その余の事実を否認する。(2)は、原告が川崎地所に対し、原告主張の債権を放棄し、その通知をしたことを認め、その余の事実は不知。(3)の事実は認める。(4)の事実は否認する(ただし、根森調査官が原告に対し、個人としては地上権の譲渡所得関係は生じない旨告げたことはある。)。(5)は、原告が、原告主張の確定申告書を作成、提出するに至った経緯は不知、その余の事実を認める。(6)の事実は認める。

同(三)の主張は争う。

4(一)  同4(一)のうち、冒頭の主張は争う。本件通知書が原告に送達されたのは、昭和五八年一月三一日である(後記(二)参照)。

(一)(1)の事実は、送達日を否認し、その余を認める。(2)は、竹内が神近管財から派遣された同社の従業員であったことを認め、川崎ビル内の駐車場の管理を神近管財に委託した者が大成であることを否認する(後記(二)(5)参照)。(3)の事実は認める。(4)の事実は否認する。吉田は、昭和五八年一月三一日に本件通知書を受領した。(5)は、なお書の事実を認める。(6)の事実は争う。(7)の主張は争う。

(二) 本件通知書の送達に関する被告の主張

(1) 原告は、東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番二号において、不動産業を営み、税務関係及び金融関係に係る住所地(以下「本件納税地」という。)として右住所地を被告に届け出ているものである。

(2) 原告宛の普通郵便物は、前同所所在の原告が経営の中心である川崎地所が所有する川崎ビル一階に設置されている郵便受箱のうち川崎地所専用の受箱に配達され、これを川崎地所の唯一の従業員であり、守衛である吉田が川崎地所宛のものと一括して川崎ビル八階の事務室に出勤してきた原告に手渡していた。また、原告宛の書留郵便物は、原告不在のときは、吉田が受領していた。

(3) 原告は、昭和五七年二月から昭和五九年一〇月までの間、冠不全、高血圧症等のため、原告の自宅において静養していたが、その間も、原告及び川崎地所宛の郵便物は普通、書留ともすべて吉田が受領して保管し、数日おきに川崎ビルに来る原告の家族に手渡していた。

(4) 本件通知書は、簡易書留郵便として、昭和五八年一月三一日、日本橋郵便局員によって川崎ビル守衛室に配達されたところ、吉田が不在のため、竹内がこれを受領し、同日、吉田にこれを交付した。

(5) 竹内は、川崎地所が川崎ビルの駐車場管理を委託している神近管財から同駐車場の管理人として派遣された同社の従業員であり、同ビルの一階の駐車場管理人室に勤務し、出退時には、前記守衛室内備え付けのロッカーを使用して着替えを行うなど常時右守衛室に出入りしていたものである。

(6) 以上のとおり、本件通知書が本件納税地に配達されており、これを受領した竹内ないし吉田は、原告の使用人もしくはこれに準ずる原告と一定の関係がある者であって、この者が原告宛送達書類を受領すれば遅滞なく受送達者本人である原告に到達させることを期待できる地位、権限を有するものである。

(7) 以上のとおり、原告が本件更正等に係る通知を受けた日は、昭和五八年一月三一日(竹内ないし吉田が本件通知書を受領した日)ということができる。

5  同4(二)の主張は争う。国税通則法七七条三項にいう「やむを得ない理由」とは同条項がその事由として「天災その他」を例示していること、同条項を設けた趣旨が租税法律関係の早期確定を図るという点にあることに照らすと、単に不服申立人の主観的な事情では足りず、申立人が不服申立てをしようとしても、その責めに帰すべからざる事由により、これをなすことが不可能と認められるような客観的な事情が存することがなければならない。したがって、原告が主張の期間、自宅に病臥していたとしても、それをもって「やむを得ない理由」があったとはいえない。

6  同4(三)、(四)の各事実は認める。

三  請求原因に対する認否4(二)(本件通知書の送達に関する被告の主張)に対する原告の認否

(1)の事実は認める。

(2)のうち、原告宛の書留郵便物について、原告不在のときは、吉田が受領していたとの事実は否認する。その余の事実は認める。

(3)のうち、原告及び川崎地所宛の郵便物をすべて吉田が受領していたとの事実は否認する。(2)のとおり、書留郵便物については吉田は受領していなかった。その余の事実は認める。

(4)のうち、本件通知書を竹内が受領したことは請求原因4(一)(1)のとおり事実であるが、本件通知書が川崎ビル守衛室に昭和五八年一月三一日配達されたこと及び吉田がその日もしくはその後に本件通知書を「受領」したことは否認する(請求原因4(一)(4)参照)。その余の事実は不知。

(5)のうち、竹内が神近管財から川崎ビルの駐車場の管理人として派遣された同社の従業員であったことは請求原因4(一)(2)のとおりであり、同人が同建物一階の駐車場管理人室に勤務していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(6)の事実は争う。

(7)の主張も争う。

原告は竹内に対し、いかなる書面の受領権限も授与したことはなく、竹内と原告あるいは川崎地所との間に何らの契約関係等の法律関係はない。したがって、竹内が本件通知書を受領したことをもって原告に対する送達があったということはできない。また、竹内が勤務していた駐車場と吉田が勤務していた守衛室とは全く別室であり、業務上の関係もない。そして、吉田もまた川崎地所に雇傭されている従業員であるにとどまり、原告個人とは何ら関係のない者であり、原告が吉田に対して何らかの代理権を明示的にも黙示的にも授与したこともない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実(課税経緯)は、当事者間に争いがない。

二  不服申立ての前置について判断する。

1  本件通知書が配達、受領された経緯

(一)  神近管財の従業員であった竹内が、日本橋郵便局員から東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番二号(本件納税地)の原告宛の本件通知書を受領したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、竹内がこれを受領した日は昭和五八年一月三一日であったことが認められる。

(二)  そして、原告が右堀留町二丁目六番二号を本件納税地として届け出ていることは当事者間に争いがない。もっとも、請求原因4(一)(5)のうち鎌倉市《地番省略》に原告の自宅があることは被告が明らかに争わないから、これを自白したものとみなされる。そして、《証拠省略》によれば、原告は自宅に日常起居し、住民登録も同所にしているものであるが、おおむね毎週火、木、土曜日に自己が代表取締役を務める川崎地所の所有する川崎ビルの八階にある事務室に出向き、同所でその職務を執行していたこと(原告が川崎地所の経営の中心であり、上掲事務室で執務していたことは当事者間に争いがない。)、同ビルは本件納税地上に存在し、本件納税地は原告の本籍所在地であり、先代以来百年余りにわたって居住してきた土地でもあり、原告は、同地で出生し、かつ育ったところから、古くから、原告個人の所得税等の税務上の諸手続をする上での住所、株式等の有価証券取引上の住所及び銀行取引上の住所をいずれも本件納税地としていたこと、したがって、古くから、本件納税地を住所とする右の各個人的取引事項に係る原告個人宛の文書等は川崎ビル八階の前記事務室に届けられ、原告は同所でこれら個人的取引事項について必要な事務をも処理してきたこと、それゆえ、原告自身は現在でも二個の住所(自宅と本件納税地)を有していると考えており、本件納税地に関しては前記事務室をもって自己の住所と認識していることが認められる。また、弁論の全趣旨によれば、原告の昭和五六年分所得は川崎地所に対する本件土地賃料収入に係るものがその大半を占めていることは明らかである。

以上の事実によれば、川崎ビル八階の前記事務室は原告の個人的取引のための独立した事務所に当たるものと認めるのが相当である(このことは、同事務室が川崎地所の事務室である事実と矛盾ないし抵触するものではない。)。したがって、国税通則法一二条一項により、本件通知書は本件納税地の原告個人の右事務所に送達されれば足りるものである。

(三)  そこで、右事務所への送達の日について検討すると、《証拠省略》によれば、本件通知書は簡易書留郵便物として配達されたものであるところ、その受取りを示す資料には、受取人として「竹内」の署名があり、かつ、「川崎地所守衛室」と刻された受付印が押捺されていることが認められる(配達月日は前記(一)のとおり一月三一日である。)。また、《証拠省略》によれば、竹内は、昭和五七年一〇月ころから昭和五八年五月ころまで、川崎ビルの駐車場の管理をするために川崎ビル一階に勤務していたこと、一方、吉田は、川崎地所の従業員(具体的には守衛)として川崎ビル地下一階の守衛室(管理人室)に寝泊りして勤務していた(吉田が川崎地所の従業員であり、守衛室に勤務していたことは当事者間に争いがない。)が、四六時中守衛室に座っているわけではなく、時折は所用で守衛室を離れることもあったこと、竹内は、右勤務先へ出退社する際は、川崎ビル地下一階の守衛室に立ち寄り、そこで着替え(更衣)をしていたこと、同守衛室備え付けの机の引出しの中には、川崎地所の会社名の入った丸いスタンプ(受付印)がしまってあり、川崎地所の会社名の入った印は、守衛室内には他になかったこと、右引出しの中には駐車場の関係者が使う事務用小物類もしまってあったので、竹内がこの引出しを開けることもあったし、吉田は、原告宛及び川崎地所宛の普通郵便物を原告に手渡すまでの間、右引出しの中にこれを保管するようにしていたことの各事実が認められる。また、原告の長女美那が同年二月一〇日に川崎ビルを訪れ、吉田から本件通知書を受領したことは原告において自認するところである。

以上認定の事実及び前記(一)で認定の事実を総合すると、竹内が川崎ビル地下一階の守衛室において、守衛室内の机の引出しの中にあった川崎地所の会社名の入った丸いスタンプを用いて本件通知書の受領証に受取印を押捺し、もって本件通知書を受領したうえ、これを右机上若しくは右引出しの中に置いておいたこと及びそれ以来右二月一〇日までの間、本件通知書が右机の上若しくは引出しの中に置かれていたとの事実を推認することができる。

2  ところで、国税通則法七七条一項括弧書にいう「処分に係る通知を受けた」とは、受送達者において当該通知を直接受領し、あるいは現実に了知することを要するものではなく、当該通知が社会通念上、受送達者あるいは受送達者のために受領権限を有する者において了知しうる客観的状態に置かれたことをもって足りると解すべきである。

そこで、これを本件についてみるに、原告は川崎地所の経営者としての職務を行うため毎週火、木、土曜日に川崎ビル八階の前記事務室に出向いていたことは1(二)で認定したとおりであり、原告宛(納税地宛)の普通郵便物は、川崎ビル一一階に設置されている川崎地所専用の郵便受箱に同社宛の郵便物と共に配達されていた事実及び原告宛に配達された右普通郵便物は川崎地所宛の郵便物と共に吉田が取りまとめて保管し(《証拠省略》によれば、吉田は、右郵便物を前記守衛室内の机の引出しの中に保管していたことが認められる。)、原告が前記事務室に出勤した日に原告に手渡していた事実はいずれも当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》を総合すれば、原告は昭和五八年一月一〇日から同年五月二〇日までは自宅で安静加療中のため前記事務所に出向くことができず、その間は原告の家族が川崎地所に出向いて所要の事務をさばき、かつ、その際、吉田が取りまとめて保管していた右郵便物等をも同人から受け取っていたこと、原告の家族が本件通知書の配達された日(一月三一日)の直前に川崎地所を訪れたのは昭和五八年一月二五日であり、その直後は同年二月一〇日であったこと、原告が前記事務所に出向いていた当時でも、原告の出勤は週三日を常態としていたので、川崎地所宛の書留郵便物が配達された際に原告が出勤していないときは、吉田が川崎地所の会社名の入った前記丸いスタンプ印を受領証に押捺してこれを受取り、前記普通郵便物と同様の方法で原告に手渡していたことが認められる。《証拠判断省略》

右に摘示した各事実及び前記1(三)のとおり、吉田は原告が中心となって経営する川崎地所の守衛として、原告の在、不在にかかわらず川崎ビルの守衛室に勤務し、かつ寝泊りしていた唯一の人物である事実を総合してみれば、吉田は、少なくとも原告不在の間に川崎ビルに配達された原告宛の書留郵便物については、これを受領する権限を黙示的に与えられていたものと推認される。原告は、吉田は原告宛の書留郵便物についてはこれを受領したこともなく、その受領の権限もなかったと主張するが、前記1(二)のとおり、原告は川崎ビル八階の前記事務室をも自分の住所と考え、税務、金融、株式の各個人取引上の住所としてこれを使用していた者であるが、前記事務室への出勤は週三日であって、原告が出勤しない日に原告宛の右個人取引上の書留郵便物の配達があることは当然予想される状態にあったこと、そして、原告が右認定のとおり安静加療中に本件納税地に配達された郵便物は、原告宛の書留郵便物である本件通知書を含めて、家族をして吉田から受け取らせていたことに鑑みれば、原告不在の際は吉田が原告宛書留郵便物については常に受領を拒み、郵便配達員がこれを局に持ち帰っていたなどの特段の反証事実がない本件において、吉田の郵便物受領権限を原告宛については普通郵便物に限定し、書留郵便物だけを原告不在の日といえども除外していたとは到底考えることができない。

そして、吉田が原告宛及び川崎地所宛の郵便物はこれを自己が守衛として寝泊りしている守衛室の備え付けの机の中に保管していたことに鑑みれば、他に特段の反証のない本件において、本件通知書が、通常、郵便物を保管する場所である右守衛室の机の上若しくは引出しの中に置かれたときに、吉田において本件通知書の存在を了知しうる客観的状態が成立したものと認めることができる。すなわち、前記のとおり本件通知書が本件納税地へ配達され、竹内の手を介して、本件通知書を受領する権限を有している吉田において、その存在を了知することができる客観的状態を生じ、原告又はその使者である家族にいつでもこれを手渡せる状態になった以上、右客観的状態に置かれた時に、社会通念上、本件通知書による本件更正等の通知を原告において了知しうる客観的状態に至ったものというべきである。

よって、原告が本件更正等の通知を受けた日は、昭和五八年一月三一日というべきである。

そうすると、原告が本件更正等につき審査請求をした日が同年四月七日であることは当事者間に争いがない(請求原因4(三))から、右審査請求は、青色申告に係る法定の審査請求期間である二月を徒過してなされたものといわなければならない。

3  《省略》

4  そうすると、原告のなした本件更正等についての審査請求は、法定期間を徒過してなされた不適法なものであるから、本件訴えは、国税通則法一一五条一項所定の適法な審査請求を経ないで提起された不適法なものとなる。

三  以上のとおり、本件訴えは不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本和敏 裁判官 太田幸夫 塚本伊平)

〈以下省略〉

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